2012年4月20日金曜日

「ノマド=ガス抜き」論~独立のあり方

先日、ツイッターでこんなつぶやきをした:



『ノマドワークを、マスコミや大企業の大人たちが
一気に持ち上げ始めたことに危うさを感じる。
若者に正規の雇用を用意することは出来ないから、
一見オシャレなノマドという道に目を逸らさせようとしているような。
若者のみんな、先に専門性を身に付けるんだよ』



これが、あっという間に1000人以上にリツイート(転送)され、
大きな反響が寄せられた。
それだけ今、ノマドワークへの関心が高まっているのだろう。



ノマドとは英語で「遊牧民」を意味する。
転じて「ノマドワーク」とは、
組織に属さず、オフィス代わりにカフェなどを転々としながら
SNSの人脈を駆使して仕事をするスタイル、らしい。
これが、若者を中心に熱い支持を集めつつあるのだ。



だが、私は冒頭ツイートで述べたように
ノマドブームには一抹の危惧を抱いている。
自身も独立事業者であり、大学で若者に教えている立場から、
上記ツイート内容を以下、少々補足しておく。



ノマドという働き方がこれほど注目を集めるのは、
大学を出ても職がない、という若者たちの心に渦巻いていた
「不安」と「不満」というモヤモヤの、
ちょうどいい排出口になったからではないか。



特別なスキルがなくても、
ネット上で知り合った人とのつながりで
自由に好きな仕事が出来ちゃいそうなイメージ。
しかも「フリーター」より「ノマドワーカー」の方が
おしゃれで先進的な響き。
実際には両者の違いは、

仕事をアルバイト情報サイトで探すか、SNSで探すか、
という点かと見受けられるのだが。

大学を出て職がなくてもノマドという道がある!と
希望を抱く若者が増えると共に、
失業中でもとりあえず「ノマドです」と言って体面を保つ
「えせノマド」も続出すると思われる。



一方、経済界にとって
スキルのないノマドワーカーはフリーター同様、
能力育成や福利厚生に金をかけてやる必要のない
安価な使い捨て労働力だろう。



経済情勢が不安定なとき、
国民の怒りの矛先を他国や移民に向けさせ
反発感情のガス抜きをさせる、という現象は
世界のあちこちで起きている。



その意味で、最近の
マスコミや大企業によるノマド礼賛は、
あたかもノマドを
若者の雇用不満の「ガス抜き」として
利用しようとする構図に見えるのである。



とはいえ、
「それでも構わない。ノマドって憧れる~」という
若者もいるかもしれない。
だが、新卒でなんら技術のない人に、
仕事を振りたいと思う企業があるだろうか
(例えSNSで「つながって」いたとしても)。



気をつけなければならないのは、
これまで組織から独立してバリバリ活躍してきた人達というのは、
みな「専門能力」を持っているということである。
ITやクリエイティブ業界に多い、
いわゆる「フリーランス」と呼ばれる存在だ。



よってノマドワーカーの将来性を分けるのも、
供給過多市場となった時に他者と差別化できる、
「自分だけの強み」を備えておけるかどうか。



その強みをどう高めるかといえば、
まず就職先は企業規模や勤務地域で選ばず、
「どのような技術を習得出来るか」を重視する。
最低3年は同じ職に就き、経験値を高めつつ
水面下で情報収集、貯金、専門性向上に努める。
そのあたりの具体的なノウハウは、
私の経験に基づくメールマガジン『就活&独立論~好きなように生きる!技術』
紹介している。



ただ最後に指摘しておくが、
組織から離れるというのは
何だかんだ言っても結構リスクのあること。
将来的にノマドワーカーとして独立することを考えるなら、
「そこまでしてやりたい事」が本当にあるのかどうか、
自分に問いかけてみることを忘れずにね。





2012年4月15日日曜日

『わたし流番組論』 後編

わたし流番組論
『常識や習慣から解き放たれてみたい
~「新しい価値観」「新しい場所」を求めて』

                                                (月刊民放 2001年9月号)



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前編 ▲中編





〈その地だからこそ出来るテーマを〉





私はいま福岡の放送局で働いている。
出身は石川県の金沢市だと告げると、相手は皆驚いた顔をする。
なぜ縁もゆかりもない土地に、というわけだ。
だが、私の人生はそれまでも、縁もゆかりもない土地に住むことの連続だった。
愛知で生まれ、奈良、金沢、東京にオーストラリア。
自分を根無し草のように感じ、故郷を持つ人をうらやましく思うこともある。
しかし、行く先々で違う人々の価値観や生活習慣を知るのは興味深く、
新しい場所への移動にむしろ私はワクワクするのだ。







福岡で報道の仕事をするからには、その地だからこそ出来るテーマを
扱いたいと思っていた。2年前の夏、思いがけない情報が飛び込んだ。
全国で初のセクシュアル・ハラスメント裁判を福岡の女性が起こしてから、
その年でちょうど10年の節目を迎えるという。





私の胸は高鳴った。なぜなら学生時代、講義のレポートを書くために
読みあさったセクハラに関する文献で、その事件は何度も紹介されていた。
当時はまだ学生だった自分だが、将来報道の仕事に就いたら
是非取材してみたいと思っていたのだ。





その女性は事件以来初めて、テレビの前に顔を出すことをOKしてくれた。
私は意気込んだ。それまでセクハラに関するニュースは
あちこちのテレビや新聞、週刊誌で見聞きしていたが、
どれも物足りなく思えていた。
セクハラを可能にしている私たちの社会の仕組み、女性への偏見という、
問題の根本的な部分が抜け落ちているように感じたのだ。
もっと、自分なりの視点から、かゆい所に手が届くような作りにしたかった。





しかし実際の取材はそう簡単に進むものではない。
忌まわしい思い出を話すことにいい気持ちはしないだろう。
私は奢っていたのかもしれない。
本でかじった知識と、同じ女性であるというだけで、
彼女の苦しさや辛さが理解出来ると。
 相手の気持ちを充分思いやっているつもりでも
少しでも深い話が聞きたくて不躾な質問をし、
不快な思いをさせてしまったこともあった。
彼女の夫にもテレビの前で話を聞きたかったが、
周囲の眼があるからと強く拒否された。
妻がセクハラに遭った過去を
10年経った今でも口に出せない夫。




加害男性は軽い気持ちでしたであろう行為が
当事者にはいつまでも癒えることのない傷として残ることに、
セクハラ被害の深刻さを思い知らされた。
と同時に、セクハラの被害者に好奇の目を向けることで
その口を閉ざさせてしまう、私たちの社会の未熟さを痛感した。





紆余曲折を経てようやく完成したこの特集は、
10分間にまとめたものを「ニュースステーション」で放送した。
視聴率は20パーセント近かったと記憶している。
自分たちの作った作品が地元だけでなく、
全国の沢山の人に見てもらえるというのは新鮮な喜びだった。
そして、新しい地で自分がやるべきことを探し続けていた私は、
ようやく少しだけ肩の荷が降りた気がした。













〈映像、音、そして活字〉





記者になって今年で4年目を迎える。
一貫したテーマは「新しい価値観」を創ること。
これまで常識だと思っていた習慣や考え方を改めて見直し、
一人一人がそのしがらみから解き放たれてみることで、
より人間らしく生きやすい世の中に出来ないか。
そんな思いでこれまで
「なぜ男性は真夏にもスーツを着るのか」「上下関係で行われる飲酒の強要」
などを題材に取り上げ、自分なりに検証してきた。












いまは細々とやっていることで、
一体どれだけの人に関心を持ってもらえているのかわからない。
価値観や習慣も地域ごとに、さらには国ごとに大きく異なっている。
いずれは世界中の良いところをメディアに取り込み、発信して、
日本全体がHAPPYになればいい。そんな夢物語を考えている。










ところで今回、放送文化基金賞のラジオ番組優秀賞という、
日頃テレビ報道専門の私にとって思いがけない分野で賞を頂いた。
映像こそが最も訴える力を持つと信じていたが、
音だけでこんなにも人の想像力を刺激できることに気付かせてもらう
いい機会になった。
 では、音も光もなかったら・・・?。
最近は活字媒体に興味が湧いて、ルポルタージュものをよく読む。
どのメディアがベストかなんて答えは出ない。
ただ、いずれは活字の世界にも挑戦してみたいと、
ひそかに目論んでいるのである。(了)









































































前編 ▲中編











【参考文献】
最新刊!性教育とメディア・リテラシー

4_2
『性情報リテラシー』


・子ども達はメディアの性情報にどのように接し、
 自らの性行動・性意識にどう反映させているのか?

・「性的有害情報対策」としての
 リテラシー教育はどうあるべきか? 



 




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  「貪欲に生きる!技術





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『わたし流番組論』 中編

わたし流番組論
『常識や習慣から解き放たれてみたい
~「新しい価値観」「新しい場所」を求めて』

                                                (月刊民放 2001年9月号)



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前編 ▼後編



〈「女性記者」だから……?〉



「しょうがないでしょう、起きたものは!」
「しょうがないんですか?」
 私立高校の校長室。校長と私は向かい合っていた。
洵作さんと、恐喝した6人の少年は全員、その学校の2年生に在籍していた。
学校側がいじめを把握していなかったのかどうかを聞きたくて、
私たちは何度も取材を申し込んだ。しかし電話さえ取り次いでもらえない。
6人もの逮捕者を出しておきながら口を閉ざす、
教育現場の隠ぺい体質を目の当たりにした。







仕方なく直接校長にインタビューを申し込みに行ったところ、
激しいやりとりが始まってしまった。
生徒のいじめ自殺事件についてどう思うのかとの私の質問に校長が返したのが、
先の一言だった。 

 校長が本音を漏らしたことで、このやりとりの場面は図らずも
番組のヤマ場の一つとなった。
テープでこの場面を聞き返すと、今でも私はあの時の緊迫感を生々しく思い出す。




 二人のやりとりについて、ベテランの制作者やコンクールの審査員が
述べた感想は、ある部分が共通していた。
「記者が若い女性だったから、相手は油断して口をすべらせたのだろう」
というのだ。意外だった。

 おそらく彼らの指摘は正しいのだろう。
若い女のコと見て、なめてかかった校長。
ザマーミロ!と思う反面、私は複雑な気持ちである。
 自分は年齢や性別への意識などなく、一人の記者として
相対しただけだったからだ。若いこと、さらに女性であることが
世間から未熟の代名詞のように見られているという事実には
(実際私もまだ限りなく未熟なのだが)、少々がっかりさせられた。



とはいえこの職業、女性であることのデメリットよりは
メリットの方が多いと思う。
企業や自治体で報道機関に対応するのは基本的に課長以上。
となると、圧倒的に男性の比率が高いからだ。
男性記者が取材相手のもとに3回通わないと聞けない情報を、
女性記者は1回で取ってきたりする。



不公平だと感じている男性記者もいるだろう。
報道記者の場合、特に警察での情報争奪戦が激しい。
警察署の幹部が女性記者と親しげに話していると、
男性記者の間から「いいよなあ、女性は」と囁きあう声が聞こえてくる。
「オンナを売り物にして」との侮蔑的な響きをその裏に込め、
「男たるもの実力で勝負だ!」と虚勢を張ったりする。

 仕方がないのだ。男性記者は「オトコ」を売り物に出来ないのだから。
警察署の幹部に女性の姿は見かけないのだから。



「組織の意思決定の場にもっと女性を」と訴えるのは大抵女性団体だが、
むしろルックスに自信のある男性たちが、そんな訴えを起こしたら面白いと思う。

〈受け手の半分は女性なのに作り手は男性〉







社会進出する女性が増え、「オンナが強くなった」と言われても、
管理職に占める女性の割合は諸外国に比べて格段に少ない。
ひとたび結婚や出産をすれば、子育てと家事の負担を夫以上に請け負い、
良き主婦として家を守ることが求められる。
 最近話題の夫婦間暴力も幼児虐待も、結局は日本に根付いてきた
性別による役割分担意識のひずみが表出したものに他ならない。
そしてこの様な私たちの社会が形作られてきた背景には、
メディアの影響も決して小さくはないだろう。







テレビや新聞で使われる女性と男性に絡んだ表現からは、
社会がそれぞれの性に期待する役割が感じ取れる。
例えば、女性が描いた絵を指して
「女性らしく繊細でしなやかな筆づかい・・・」などと説明する。
一方で、男性が涙を流す姿に「男泣き」とコメントをつける
(これは、『男性は人前で泣くべきではない』との前提をもとにした表現。
『女泣き』という言葉はない)。
かくいう私も、街頭でご夫婦にインタビューする時など、つい
「そちらの『奥様』は・・・」と口走ってしまい、
「しまった!」と思うことがある。



CMでも、子供のお弁当作りに便利な高性能電子レンジに嬉々とするのは母親、
夫にビールを運ぶのは妻、など、
シチュエーションが思いっきり固定化されている。
若い女の子のお色気姿をアイキャッチャ―に使うCMはあっても、
若い男の子のセクシーさに思わず目が釘付け、
というようなCMはほとんど見かけない。なぜか。



答えは簡単、メディアの受け手の半分は女性でも、
作り手の大半は男性が占めるからだ。
彼らの価値観に照らした「常識」もしくは「楽しめる」といった判断のもとで
情報は発信される。
その弊害を問題視する動きも市民団体などから出てきてはいるが、
まずはメディアに携わる私達自身が自覚することが必要だろう。



取材で大学教授など、社会の一線で活躍する女性に会うと、
「知ってる?テレビ局の現場で働く女性はたったの2割なのよ」と、
その少なさを指摘されることがよくある。
おそらく男社会の中で幾つもの壁を経験してきた彼女たちにとって、
世間の意識形成に大きな力を持つメディアの世界に
自分と同じ性があまり見当たらなかったのは、なんとも心許なかったに違いない。

「あなた、頑張ってね」とハッパをかけられると、
一地方のヒヨッコ記者の自分に何が出来るのか、思いを巡らせてしまう。



  







前編 ▼後編
 



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2012年4月11日水曜日

『わたし流番組論』 前編

新年度を機に、過去の原稿を整理していたら
非常に懐かしいものを発掘した。
『わたし流番組論』。
書いたのは実に11年前。
いじめ自殺と少年法改正を取り上げたドキュメンタリー
「少年調書」が、民放連最優秀賞などを受賞したことから、
テレビ業界誌「月刊民放」へ寄稿した作品だ。



あの頃はまだ入社4年目だったが、読み返せば
いじめや女性問題など、考えていたことは今と変わらない。
いやむしろ、当時の問題意識を貫いたまま
ここまで来たと言うべきだろう。



初心忘れるべからず、ということで
ネット上に初公開します!
***************************



わたし流番組論
『常識や習慣から解き放たれてみたい
~「新しい価値観」「新しい場所」を求めて』

                                                (月刊民放 2001年9月号)

  ▼中編 ▼後編





〈自分が取材しないで誰がやる〉



 とにかく、対象に惚れ込んだのだ。
古賀洵作、高校2年生、16歳。
バス釣りとロックが大好き。クラスのムードメーカーで、
男女問わず友達が沢山いた。一方で、繊細な内面を併せ持つ。
相田みつをの詩を生徒手帳にしのばせていた。
将来の夢はアフリカで野生動物の保護にあたること。
「会いたかった」と強く思った。彼が自らの命を絶つ前に。



 洵作さんの自殺は、前日の同級生グループによる恐喝が直接の原因とされる。
だが取材を進める内に、彼が以前からこの同級生グループに
継続的ないじめを受けていたことがわかった。たかり、パシリ、嫌がらせ……。
 洵作さんはいじめの悩みを周囲に打ち明けることはなかった。
毎日を明るく振る舞っていた。彼の死は誰の目にもあまりに突然に映った。
いじめは洵作さんにとってどれほど耐えがたいものだったのか。
遺書は見つかっていない。
事件の核心に近づくには、彼の内面に正面から向き合う作業が必要だった。



 事件が起きた当時の私は入社1年目の新人。
つまり、他のどの記者よりも洵作さんの世代に近かったわけだ。
「自分が取材しないで誰がやる」そんな思いに駆られた。



〈社会の不備を取り上げ、伝える〉



いじめ自殺と聞くと、世間は大抵
「勇気を出して周りに相談すれば良かったのに」と口を揃える。
まるで、勇気のなかった被害者にも落ち度はあるとでも言いたげだ。
声を上げることをためらう被害者に
「勇気」の旗を振りかざして背中を押そうとする風潮は、
他の事件でもよく見られる。しかし現実には、
声を上げられる環境は整っているとは言い難い。



例えば先日、新聞にこんな投書が載った。
電車で痴漢に遭った女性からである。
駅のホームに着いた時その女性は大声を上げて助けを求めたが、
周りの乗客は知らん顔。しかも痴漢を捕まえてくれるはずの駅員は
ホームに見当たらない。結局痴漢には逃げられた、というのだ。
 近頃の駅では「痴漢に遭ったら勇気を出して訴えましょう!」と
謳うポスターが目に付く。勇気を出した結果がこれなのだ。
被害者から駅員への緊急連絡装置を設置するなど、
具体的な対策を講じなければ、その主張は空しく響くばかりだ。



 いじめの話に戻ると、これも自分がいじめられていることは
親や学校になどとても言えるものではない。
「いじめられっこ」には情けなく、恥ずかしいイメージがつきまとう。
思春期は自意識の固まりである。
自分がいじめを受けていると知られることは屈辱にほかならないのだ。

 さらに、いじめられる側にも問題があるとの見方が追い討ちをかける。
「あなたにも悪いところがあったんじゃないの。胸に手をあてて考えてごらん」
などと言われては、その子は萎縮してしまう。
理由が何であれいじめてはいけない、という意識が徹底しなければ、
子どもたちはこれからも口をつぐむだろう。



被害者が声を上げるために必要なのは、勇気などではなくて、
安心して声を上げられる環境なのだ。
そして、その様な環境を整えるのが、メディアで働く私たちの役目だと思う。



 洵作さんの事件を番組にまとめ、テレビでオンエアした時、
視聴者からこれまでにない数のファクスや電話をもらった。
驚いたのは、こういった事件につきものの遺族に対する非難中傷が
一件もなかったことだ。
私たちは洵作さんを美化して描いたわけではない。
ただ、「俺の人生足りん」と親に洩らすほどに
将来がやりたいことで溢れていた少年。
その彼から生きる権利を奪い取ったいじめの理不尽さと、
それを止められなかった社会の不備な現状が伝わったのであれば、
番組を作ったことは無駄ではなかったと感じている。



  ▼中編 ▼後編





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2012年4月6日金曜日

いじめ自殺報道とメディア・リテラシー

テレビ朝日「はい!テレビ朝日です」公式サイトより:




「伝えたこと 伝えられなかったこと~ある記者のいじめ報道の軌跡~」

��007年8月19日放送
(*関西テレビ「報道と人権に関わるメディアリテラシー」への出演内容はこちら



【今回は一人の女性ジャーナリストのいじめ自殺に関する取材を通して、

報道するということはどういうことか、逆に、被害者や遺族が取材されるということは

どういうことかをテーマにお送りします】



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【VTR1】




5月25日、いじめ自殺で我が子を失った遺族たちが、学校の調査内容の

情報開示を求める要望書を政府、文部科学省、各政党に提出。

その中に、1998年、同級生たちに恐喝を受けた直後に自殺した古賀洵作(しゅんさく)さん

��当時16歳)の母、古賀和子さんもいる。古賀洵作(しゅんさく)さんの事件を取材したのは、当時、

テレビ局の報道記者だった渡辺真由子さん。

渡辺さんは、テレビ局を辞め、フリーになった現在も古賀さんたちの活動を

取材し続けている。いじめ自殺に関わり続ける渡辺さんの取材に同行しました。





【スタジオ1】



島本:

メディア・ジャーナリストの渡辺真由子さんは、古賀和子さんの長男、洵作(しゅんさく)さん

のいじめ自殺事件を取材し、以後9年間に渡っていじめ自殺の問題を取材しています。

その中で伝える側の報道のあり方についても考えることが多いと言います。




吉澤:

去年、いじめ自殺が続いた時に、報道の現場でも、いじめ報道はどうあるべきか、

議論になりました。取材され遺族の方々のお気持ちなど、今回改めて考えてみたいと思います。



【VTR2】




7月20日から22日 福岡で開かれた、いじめによる自殺をした

子どもたちの写真とメッセージ展。遺族たちの手作りイベントに、マスコミの取材が

殺到。遺族も取材に積極的に対応。しかし、遺族たちに報道のあり方を尋ねると

疑問を呈する声、怒りなどが出てきました。

メディア・ジャーナリスト渡辺さん自身、

「遺族は取材に積極的に答えるものだと思っていた」と、驚きます。




��998年、古賀洵作(しゅんさく)さんは、同級生たちによる恐喝を受けた直後、自殺。

高校二年生、16歳でした。

遺書はなく、我が子の死の真相を知りたいと願った和子さん、

秀樹さんの両親でしたが、学校の壁、少年法の壁に阻まれました。

一年を超える闘いの後、少年審判記録(少年調書)が開示され、初めて、

息子が追い詰められていく酷いいじめの具体的な内容がわかりました。

渡辺さんは、この事件を取材し、1999年「見えない叫び」、2000年「少年調書」という

二本のテレメンタリー作品を発表し、大きな反響を得ます。

特に、「少年調書」は、千五百枚に及ぶ調書を紹介し、幾つもの賞に輝きました。




その後、母校の高校の後輩たちに番組のテープを観てもらうと、

その感想には「被害者に肩入れしすぎている」「加害者、学校の立場も描くべきだ」という指摘が。

自分の報道のあり方に疑問を抱きます。

渡辺さんはその後、テレビ局を辞めると、カナダへ留学し、メディアリテラシーを学ぶ。




今、改めて自分の番組を観て伝えた内容を見ると・・・。

加害者や学校サイドの意見がほとんどない。

特に、学校に関しては、取材を申し入れても拒否だったため、かなり強引な取材を行っている。

その取材手法が果たしてベストな選択だったのか。

あらためて福岡県飯塚にある古賀さんの家を訪ねる渡辺さん。

取材される側の古賀さんたちは、当時、どんな想いをしていたのか?渡辺さんは尋ねていきます。

ひとつひとつの質問に丁寧に答えていく古賀さん夫妻。

モザイク処理や匿名では、痛みや実感が伝わらないと実名報道を選んだ古賀さんだったが、

その弊害は、世間の目が気になり、外で笑うこともできなくなったそうです。

マスコミは、ニュースの大小を自分たちで決め、事件の本質をほとんど伝えず、

いいとこ取りをする。ということもわかってきました。




しかし、開示された少年調書を、当時テレビ局の報道記者だった渡辺さんに託したのは、

継続的に取材をし報道をしてくれた信頼感があったからだそうです。





【スタジオ2】




吉澤:

��年前の取材のあとを訪ねて、取材される側の生の声を聞き、今、思うことは?




渡辺:

古賀さんもそうですし、遺族の方ともお会いしたのですが、皆さん仰っていたのは、

自分たちが伝えたいと思っていたことが、メディアからは伝えられていなかった。

怒りとか涙とか非常にわかりやすい部分だけをつまみ取られて伝えられていて、

論理的に説明しようとするところは省かれていました。

私自身、新人記者のころを振り返ってみても、被害者の思いをどれだけ伝えられて

いたのか反省する部分はあります。




吉澤:

渡辺さんの立場からいうと被害者の視点で物事を見すぎていた。

その反省を込めて今回改めて加害者側、学校サイドへアプローチしたわけですよね?




渡辺:

結果的には、9年前の対応となんら変わることはありませんでした。

こちらの方から「取材させて下さい」「話を聞かせて下さい」と申し込んでも、

取材拒否されるということは、報道のバランスを取りたいと思っているのに

出来ないのは悩ましい部分でありますね。




吉澤:

両方の立場を知らないと事件自体もそうですが、問題の本質が見えてこない

というのはかなり前から言われ続けていたことなのですが。




メディア・リテラシーを学んで、ジャーナリストとして今後何をどう伝えていくか

お聞かせ下さい。




渡辺:

視聴者の側にもメディアというものを評価してもらいたいし、

メディアを判断して頂いて、ご自分で選んでメディアを観てもらいたい。

そうすることによって視聴率も上がっていくような世の中になって欲しいです。

そこに必要なのはメディア・リテラシー、メディア・リテラシーを身につける

ことによってそれが可能になると思います。

これまでの現場経験、研究を生かしながら、そういったノウハウを

伝えていければいいなと思いますね。




吉澤:

我々テレビ局側からすれば、視聴率だけを狙うのではなくて、“視聴質“

それが視聴者の気持ちに合致したものであれば、テレビ局の意識も上がって

良い番組作りが出来るのではないかと思います。

今日はありがとうございました。



(*関西テレビ「報道と人権に関わるメディアリテラシー」への出演内容はこちら





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